安曇電気(大町市)
「安曇電気」は、明治34年に北城村の横沢本衛ら有志19人が集まって相談が持たれ、明治36年4月に正式に設立された。本社は大町に置かれて、明治35年から中房川に水力発電所の建設がすすめられた。そして明治37年6月、安曇野市穂高町有明に、「第一発電所」が完成し、試運転後の9月1日から出力260kWにて営業運転を開始している。絵葉書の発電所は、現在、中部電力・宮城(みやしろ)第一発電所と呼ばれているが、当時の「安曇電気・第一発電所」である。発電された電力は、大町、穂高、豊科、池田などへ11kVで送電された。
△絵葉書 「安曇電燈 発電所全景」
絵葉書では、「安曇電燈」となっているが、現在伝えられている会社の歴史では設立時より「安曇電気」となっており、詳細は不明であるが、設立当初は「安曇電燈」と称していたのかもしれない。この宮城第一発電所は、現在も中部電力に受け継がれており、日本アルプスから流れ出た中房川の水の力により発電が続けられている。
当時、建設資機材はドイツから輸入されて、横浜港に荷揚げされたのち、開通したばかりの篠ノ井線を経由して明科駅まで運ばれ、犀川の水運を使って現地まで運ばれた。
開業当初は苦しい経営状況であったが、大正期入って電灯・電力需要の伸びによって、安曇電気は電源開発の増強に動く。中房川に、第二、第三、第四、第五発電所と犀川発電所を相次いで建設した。さらに大正15年には、現在の篠ノ井線・明科駅の東に、明科火力発電所を建設したものの、世界恐慌によって経営危機に直面し、昭和12年に諏訪電気と合併して「信州電気」に経営は移行した。
△中部電力パンフレットより
なお、宮城第一発電所では建設当時の水車・発電機が現在も使われおり、中部電力によって貴重な再生可能エネルギー電源として運転が続けられている。平成16年には誕生百年祭が盛大に執り行われ、平成19年には「近代化産業遺産」にも選ばれている。
△絵葉書 「安曇電燈 発電所全景」
絵葉書では、「安曇電燈」となっているが、現在伝えられている会社の歴史では設立時より「安曇電気」となっており、詳細は不明であるが、設立当初は「安曇電燈」と称していたのかもしれない。この宮城第一発電所は、現在も中部電力に受け継がれており、日本アルプスから流れ出た中房川の水の力により発電が続けられている。
当時、建設資機材はドイツから輸入されて、横浜港に荷揚げされたのち、開通したばかりの篠ノ井線を経由して明科駅まで運ばれ、犀川の水運を使って現地まで運ばれた。
開業当初は苦しい経営状況であったが、大正期入って電灯・電力需要の伸びによって、安曇電気は電源開発の増強に動く。中房川に、第二、第三、第四、第五発電所と犀川発電所を相次いで建設した。さらに大正15年には、現在の篠ノ井線・明科駅の東に、明科火力発電所を建設したものの、世界恐慌によって経営危機に直面し、昭和12年に諏訪電気と合併して「信州電気」に経営は移行した。
△中部電力パンフレットより
なお、宮城第一発電所では建設当時の水車・発電機が現在も使われおり、中部電力によって貴重な再生可能エネルギー電源として運転が続けられている。平成16年には誕生百年祭が盛大に執り行われ、平成19年には「近代化産業遺産」にも選ばれている。


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