郡山電気(郡山市)
「郡山絹糸紡績」は、大正5年に電気部門が独立して「郡山電気」に改称した。郡山電気へと組織変更した時点の電源は「第一発電所」(沼上発電所)のみであったため、第二地点として「竹ノ内発電所」の建設を計画したが、資金調達に難航し、日本化学工業株式会社郡山工場に対する電力収入を担保として、東京の大倉組から資金調達を行った。この二つの水力発電所は、猪苗代湖から郡山地方へ水を導水していた「安積疏水」の落差を利用して水車を回し、その力で発電機を回して発電を行った。この第二発電所である「竹ノ内発電所」は大正8年7月に完成している。
さて大正7,8年頃になると、郡山地方では化学工業、紡績工業において業績が回復してきて、電力需要も旺盛となっていた。このため、郡山電気では「第三発電所」が計画され、大正10年10月に完成する。この「郡山電気 第三発電所」は、のちに「丸守発電所」と呼ばれるようになる。これら安積疏水を利用した「沼上」、「竹ノ内」、「丸守」の3つの水力発電所は、郡山地方の工業化に大きく貢献した。平成21年には「安積疏水・日橋川等の水力発電関連遺産」としてこの三つの水力発電所が経済産業省の近代化産業遺産に認定されている。磐梯熱海駅の対岸に位置する第三発電所(丸守発電所)は建設当時、煉瓦造りで大変に美しい建物であったが、現在外壁は全面に煉瓦色で吹付けがなされている。
△絵葉書 郡山電気株式会社 「竹ノ内発電所」、「第三発電所」(大正十年刊)
「郡山電気」は大正6年、「福島瓦斯」の郡山供給区域の事業を買収し、電気・瓦斯兼業となった。さらに大正7年に「夏井川水電」と「常葉電気」を、大正10年には「双葉電力」を吸収合併した。そして大正14年1月に社名を「東部電力」としており、絵葉書の第三発電所も引き継がれている。
「東部電力」は大正15年5月、電源不足に苦しんでいた「茨城電力」を合併して相互に電力を融通できる体制を整える。昭和4年には「四倉電気」を吸収合併して、供給エリアは福島県郡山地方、平地方、および茨城県水戸地方まで広がり、資本金は2,990万円となり、本社を東京へ移している。
東部電力の当時の経営状況は、水力発電所22箇所、出力計28,027kW。変電所16箇所。需要家数は129,282戸、309,332灯、電力契約14,489kWであった。
△絵葉書 東部電 第三発電所 (岩代熱海)
さて大正7,8年頃になると、郡山地方では化学工業、紡績工業において業績が回復してきて、電力需要も旺盛となっていた。このため、郡山電気では「第三発電所」が計画され、大正10年10月に完成する。この「郡山電気 第三発電所」は、のちに「丸守発電所」と呼ばれるようになる。これら安積疏水を利用した「沼上」、「竹ノ内」、「丸守」の3つの水力発電所は、郡山地方の工業化に大きく貢献した。平成21年には「安積疏水・日橋川等の水力発電関連遺産」としてこの三つの水力発電所が経済産業省の近代化産業遺産に認定されている。磐梯熱海駅の対岸に位置する第三発電所(丸守発電所)は建設当時、煉瓦造りで大変に美しい建物であったが、現在外壁は全面に煉瓦色で吹付けがなされている。
△絵葉書 郡山電気株式会社 「竹ノ内発電所」、「第三発電所」(大正十年刊)
「郡山電気」は大正6年、「福島瓦斯」の郡山供給区域の事業を買収し、電気・瓦斯兼業となった。さらに大正7年に「夏井川水電」と「常葉電気」を、大正10年には「双葉電力」を吸収合併した。そして大正14年1月に社名を「東部電力」としており、絵葉書の第三発電所も引き継がれている。
「東部電力」は大正15年5月、電源不足に苦しんでいた「茨城電力」を合併して相互に電力を融通できる体制を整える。昭和4年には「四倉電気」を吸収合併して、供給エリアは福島県郡山地方、平地方、および茨城県水戸地方まで広がり、資本金は2,990万円となり、本社を東京へ移している。
東部電力の当時の経営状況は、水力発電所22箇所、出力計28,027kW。変電所16箇所。需要家数は129,282戸、309,332灯、電力契約14,489kWであった。
△絵葉書 東部電 第三発電所 (岩代熱海)


この記事へのコメント